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其の鵞鳥を金に塗れ 0

 

 春爛漫の上野は桜並木の公園――から路を隔ててこっち側。鉄筋詰めの古屋敷、何概館はいぶし銀の風体を四月の青空に晒してでんと立ち尽くしていた。
 中央の階段室を上がる途中にはふて腐ったような男衆がどん詰まりになっている。長いざんばらの黒髪を振り乱し段に大股広げて座り込む着はだけた着流しの男、覇気のないスウェットに身を包んでメモ帳にペンを走らせる青年、きちんと袴の裾を折ってしかし埃にまみれた床に座る男。
「暑くなってきましたね」
 袴の男が半紙の束で頭を仰ぎながら言った。
「茜が兄さんの頭見るだけで暑苦しいから夏になってもそのまんまだったらバリカンで削いだるっちゅうてましたわ」
「身の程知らずめが! 奴ごときには吾輩の髪に触れることも叶わんわ」
「揃える金もないんやなァ」
「随分吾輩と喋るのに慣れてきおったな」
「私もそろそろ筆を代えなきゃならないんですがね」
「仕事を安請け合いし過ぎなのだ馬鹿者が。貴様の辞書には交渉という単語はないのか」
「いやあ、どうしても気が付くと何時もの値段で引き受けることになってしまってまして」
「ったく、金のないということはこうも首の回らんものか畜生め! どっかから金の鵞鳥が降って沸かんものか」
「金のネタぁ……降って……頼んます神さまっ……」
 ぐだぐだとくだを巻いているのだった。
 そこへカンカンと足音が響き渡り、下から赤い髪の青年がひょっこり姿を現した。
「まーた溜まって何しとんねん」
「力を溜めている」
「溜めっぱなしやんけ! 使う当てないやろ!」
「そういう茜は如何した? ついにサボタージュを敢行したか。社交力45の名折れだな」
「何言うとんねん昼休みや! 墨の昼飯あらへんかったなと思ってダッシュで戻ってきてん」
「わ~いパパ~」
「誰がパパや! ええからお前ははよネタ書け!」
 茜は無邪気に手を伸ばした墨の顔面におにぎりを投げつけた。
「パパ~吾輩の分は?」
「乗るな! ないわ! 当然やろ!」
「丞さんまた食糧難ですか」
「部屋に戻ればキャベツがあるぞ。逆見も食うか?」
「遠慮します」
「ふむ、まあ食うと答えられようが譲らんがな。なぜその腰の入れ方で安い仕事を断れんものか」
「あ、そういえば蜜柑がありますよ」 
 逆見は懐からつるつるした蜜柑を取り出した。
「んんんんんん? こいつは蜜柑? 実に吾輩の腹に収まりたそうな色をしとるが?」
「いいですよ、差し上げます」
「マジか? 後で金取ったりしない?」
「しませんよ。部屋に戻ればまだ一杯ありますから。差絵の仕事を受けた時に、報酬代わりに貰ったんです」
「現物支給で受けたのか……」
「差絵の仕事なんて……滅多に貰えないですから」
 逆見はにこにこと頬を綻ばせた。よっぽど嬉しかったのか。
「一杯あるなら僕らにも分けてくださいよ~」
 既に頬に米つぶを張り付け握り飯を貪っていた墨がやはり無邪気に手を伸ばす。
「いいですよ。持ってきます」
「よし、こうなったら蜜柑会と行くか」
「食べ物の下に会つけたら喰い放題になると思とるんかい!」
「チッチッチ、茜君よ。それは違う。暫定的に食べ放題が確定したものだけに会をつけるのだ。するとだいたい提供者は引っ込みがつかなくなる」
「詐欺や……」
「茜~もうないの?」
「ないわ!!! 飯ぐらい自力で探さんかい!!!」
「とか言いながらチャンと飯持ってきてくれるんですわ兄さん」
「なるほど。吾輩も一台欲しいぐらいだ」
「誰が!!! 誰が!!! 誰……」
「"誰が全自動バイトマシーンやねん"」
「誰が全自動バイトマシーンやねん!!!!」
「さらっと酷いこと漏らしてますよ墨さん……蜜柑持ってきました」
「よくやった!!! そこに並べろ!!! 蜜柑会だ!!!!」
 かくして白昼堂々の何概館で緊急蜜柑会が開催される運びとなり、一同は黙々と蜜柑の皮を剥いた。古惚けたコンクリ壁から染み出す埃と溶剤の臭いに柑橘の香りが上書きされた。
 そこへカシャ、とシャッター音が降り注ぐ。一同が顔を上げると、ちょうど赤毛の少女もカメラから顔を離すところだった。
「蜜柑? いいなー私もほしい」
 はにかみながら降りてくる彼女はすぐ近くの西京藝大の生徒だった。この糞おんぼろ屋敷の何を気に入ったのか、塗装も欠片しか残らないような木枠のドアーや意味深な染みのついた壁が取り巻く中廊下、上野公園を見晴らす屋上でよく写真を取っている。
「どうぞ」逆見は蜜柑を投げた。アトリはそれをキャッチすると一番上の段に座った。
「なんで人は蜜柑を剥くとき無言になるんですやろ」
「蜜柑の皮を剥くという行為は柑橘と人間の対話なのだ。頑なな表皮を蹂躙し柔肌に歯を立て、果肉を引き千切って溢れだす甘汁を啜る……それが蜜柑を食すということの本質。まあ吾輩は皮も食うけど」
「食うなや!」
 杏ノ丞は既に蜜柑の皮を頬張っていた。
「あ、あ、いいんですよ。まだいっぱいありますから蜜柑」
「多量とて無限ではない」
「至言や」
「ようわからんけどツッコんどいたほうがよさげな匂いがすんねんけどどうツッコんだらええかわからへん」
「もし腐らせるほどあるというなら吾輩に一箱譲らんか? ナニ、ロハでとは言わん。部屋にある本を一冊譲ろう」
「本当ですか? じゃああのフルカラーの新四十八手の資料を……」
「杏ちゃんが羽振りいいとか気色悪いわ……」
「蜜柑一箱と本一冊って釣り合っとんのやろか?」
「杏ノ丞くんって対価交換でも羽振りいいとか言われちゃうんだ……そういう人なんだ……」
「誤解を招くようなことを言うな茜。そもそもこの屋敷の中にある時点で吾輩の本棚にあろうが別の部屋にあろうが同じことだ」
「ただのジャイアニズムやったわ! もうええわ!」
 茜が杏ノ丞の尊大な頭をコンビニのビニール袋でぶっ叩いたところで、またも軽快な足音が響いた。何概館ではどこを歩いても足音が階段室に響き渡るのだ。
「賑やかにやってんなあ。二階まで聞こえてきた」
「色男が来たぞ。階段を塞げ」
 墨と杏ノ丞が無言で段の上に脚を伸ばして座り直し、逆見もつられて脚を伸ばした。
「俺も蜜柑貰っていい?」
「どーぞ」
「くっ、動じてすらおらん」
 色摩は二階に兄弟で住んでいる俳優だった。つい先ほどまで相当に動いていたのか黒装束をびっしょりと汗に濡らしており、額の黒鉢巻もじっとりと垂れている。彼は塞がれていない上から二段目に座って蜜柑を受け取ると即座に頬張ってうめー生き返るーとこぼした。
「色摩、この間貴様の出てるドラマを見かけたぞ」
「おっ、あざっす」
「ひどい脚本だ。どこの中学生が書いたらあんな劣化が起こるのだ。原作が泣いておる」
「杏ノ丞さんは俺には厳しいなあ」
「演技に文句は付けとらん何を聞いとるんだお前は。ただ吾輩なら絶対にBパート以降はアクションを押し込んで最後は爆発で締めて次回へ送る」
「もう劣化とかそないレベルちゃうわそれ!」
「蜜柑もうちょっと持ってきますか」
「くださーい! 殺陣練ばっかで喉乾いてんですよ」
「はあい。丞さん、色摩さんに」
「喰らえ!」
 杏ノ丞は上段の色摩に向かって思いっきり蜜柑を投げつけた。アトリはすかさず放物線を描いた蜜柑にレンズを向ける。シャッター音。
「あー、ぶれちゃった」
 剛速球で投げられた蜜柑がはっと手を伸べた色摩の指先をかすめ、胸にぶつかる寸前の、してやったり顔の杏ノ丞と、ちょっと丞さんとそれを諌める逆見、蜜柑の皮に挑戦せんとする墨、果肉を頬張りながらそれを止めようとする茜、慌てる色摩。階段室の天窓から差し込む光とそれに舞い散り輝く埃どもによって妨害された光量も合わないピンボケだったが、彼女はにへらと口角を上げた。いい写真だった。
 彼らが鵞鳥の尾羽を指先にかすめるのは、それより少し後の話になる。


(つづくんですか?)
(つづいたらいいですね)

 
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