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その鵞鳥を金に塗れ



 四月も末の何概館、熱気も籠りがちになった階段室では窓が開き、"動物"と称して作られたSAN値チェックを要するような石膏像がぐらぐらとそよ風に揺れていた。
 廊下をとつとつと歩いてくるのは四一三号室の絵描き見習い、逆見時雨である。見習いとはいえまっとうな絵の仕事など雀の涙ほどもないぐらいであり、もっぱら遊郭を回って春画を描き下す日々だった。この廊下を行き来する多くの連中はその芽をいまだ息吹かず、もしくは日の目を見ないがために花を咲かせず茫としている。籠った空気に満ちる埃のような人それのような気配もまた彼らから滲み出たものの哀愁である。コルクボードで破れかけたポスター、求人広告、節水喚起らも、要領を得ない歴代住民の落書きもそうだ。妙なロウアングルで撮影された颯爽と行く鉄道も、ほの暗い路地裏を低コントラストで写し取った大判も、「殺陣教えます三〇二号室」の張り紙も、手当たり次第といった具合で刺繍のなされたカーテンもそうだ。
 さて。
 今、安絣を染料で斑にした彼が分厚い本を手に手に、背を丸めて向かったのは中廊下は西、四〇四号室であった。
「丞さん」彼はこの部屋のドアを律儀にノックする珍しい人間だった。「開けますよ」
 彼がドアを開けると、六畳一間は既に埋まっていた。まず時間切れのクイズ番組に向かってせり出すようなどでかい本棚が両側の壁にそれぞれ鎮座し、中には高さも横幅もまばらの本がときに二段ときに横に寝かせてとにかく詰め込まれていて、ハンガーが無造作にひっかかっている。天井と本棚の間にも何が入っているのかわからない埃を被ったダンボールがしおらしくしており、壁紙の色は正面の窓の周りでしか確認できないといった具合である。窓は開け放たれ、その手前にはガムテープでぐるぐる巻きにされた古びた文机、の上に部屋主の男がざんばらの長髪を振り乱して座っている。その左脇には朱色のボディをした小さなブラウン管テレビがあり、画面をやや揺らし気味にしながら連続テレビ小説を垂れ流す。そして部屋の中央にはといえば、普段は彼の万年床が着物なんぞといっしょくたにぐちゃぐちゃしているのだが、それを無理やり脇に寄せ、どこから持ってきたのかちゃぶ台を置いてそれを数名が囲んでいるといった状況だった。
「お、時雨の兄さんやないですか」
「時雨さん! ちっす!」
「ピーッピピッ」
「逆見さんだー」
「何だ逆見か。何用だ?」
 そこにいたのはやる気のないスウェット姿でネタ帳とペンをぷらぷらさせるニート担当と、本の上に腰掛けて爽やかに微笑む高校生、やはりどことなくやる気の見えない私服で頬杖をつき笛を吹くジト目に、カメラをちゃぶ台の上にでんと乗せた少女だった。
「何で皆……わざわざ丞さんの部屋に?」
「うむ。話せば長いがな。今朝がた帰宅して現場からかっぱらってきた握り飯をいただこうとしたらだな、何を嗅ぎ当てたのか墨に滑り込まれてな。壮絶な争奪戦の末、実に三分の一にもなる米を奪われ」「具が喰えんかったんだけが心残りで」「じゃかあしい!!! 不当に奪われてだな、ケンケンしとったら帰るのがめんどくさいとか言いやがり居座られた。するといつのまにか色摩弟が本を盗み読みに来やがり、現像待ちの三々が来やがり、非番の笛が暇がって来やがり、こうだ」
 よくもまあこのむさくるしい穴ぐらのような六畳一間に五人もの人間が集まったものである。しかしまあ平時並みだ。もう少し暑くなれば空調を買う余裕のあるものの部屋が溜まり場になり、寒くなれば炬燵のある部屋が聖地となる。彼らは遊牧民なのだ。
「ところで貴様は何の用だ? 六人も座れる場所はないぞ?」
「あ、ここ本積めば座れますよ」烏は自分の据わっていた積み本の山を少し寄せ、別の崩れていた本を適当に積んだ。
「場所を作るなァーーッ!!!」
「構わないよ。これを返しに来ただけだから」
 時雨が傾けた分厚い本に浪漫文字で書かれた題は『新四十八手』。それを直視した烏は湯に突っ込んだ温度計じみてぐっと赤面した。表紙で〼区切りに書かれているイラストではどう見ても男女が多種多彩な体位で熱烈に組み合っているものである。
「あ? ああ、ご、ごめんね、烏君はまだ高校生か」
「適当に棚に乗せておけ」
「有難う。参考になった」
 二人のやりとりは至って平静だった。烏は「こいつらの世界はわからない」という感じの顔をした。
『お昼のニュースです』
 そこへテレビがポーンと鳴る。
「おっ八重さん」
『西大病院にて会見を予定していた荒神総理の刺傷事件について、病院側からの声明が――』
「この事件ずっとやっとるなー飽きたわもー」
「ピーーーーッピ」
「俺天気予報だけ見て戻ってもいいっすか? 明日雨だったら弁当いるんで」
「えっ総理って刺されてたの?」
「三々、貴様テレビを見んのか? 昨日からずっとこの調子だぞ」
「だって総理って誘拐されちゃったと思ってたんだもん」
「誘拐ィ?」
『ですね。それではここで事件直前の映像をもう一度見てみましょう』
「そうだよー。私見ちゃったんだ、総理さんが警察の人に車に押し込まれてるとこ」
『――パシャパシャパシャ総理が入室しましたパシャパシャパシャパシャ――』
 荒神雷蔵の刺傷事件の激写映像が21インチのゆがんだ画面の中で再現される中、墨はネタのことを、烏は明日の弁当のことを、スズは明日の仕事のことを、アトリはあの日の朝に撮った写真のことを、杏ノ丞はアトリの発言のことを考えていて、そしてふと何気なくその映像に目を向けた時雨は――
「総理の弁論が振るわない件か。オドロシの記者連中が若干嗅ぎまわっておったが」
「うーん、スピード解決しちゃったのかな? 特高さんだし?」
「三々、その写真まだ残ってるか?」
「引き伸ばし失敗しちゃったやつなら」
「見せてみろ」
『このように、非常に手際のよい犯行で、周囲を警備していた特別高等警察は――』
 アトリは立ち上がって、時雨の前を通って部屋を出た。杏ノ丞もそれを追う。時雨は映像の途絶え、専門家たちによってコメントされているテレビ画面からしかしまだ目が離せなかった。
「ほらあ! よく撮れてるでしょ、とくにこの肩に口のあるお兄さんが押し込んでるやつがベストショット」
「なるほど……なるほど……ふ……ふははははははは」杏ノ丞は肩を震わせた。「ふあはははっはははははははは!!!! はははははははあははは!!!! 素晴らしい!!!! 三々、この写真、ネガごと吾輩に寄越さんか?」
「えー……」
 高笑いは一番入口近くに座っていた時雨の茫然とした耳にも聞こえていた。彼は血相を変えて四〇四号室を出、そこでアトリと押し問答している杏ノ丞の袖を引っ張った。
「この吾輩が金を出すと言っておるのだぞ! 天変地異が……何だ逆見」
「丞さん、それは……それは駄目だ」
「何だと?」
 時雨の目はいつになく据わっていた。
「駄目だ。よく……よく分かるわけじゃないんですが、何かいろいろ、いろいろ噛み合わないものがあって……もしかしたらそれは……」
 その視線を受けて、杏ノ丞の泥めいた瞳にも、何か光が差した。
 そしてアトリに向き直り、神妙に腕組などして、暫く悶々と何やら唸ってからに曰く、
「三々、その写真はなにかしら曰くつきのものらしいとこの優男の勘が言っておるそうだ。悪いことは言わん。吾輩に任せろ」
 それを聞いた瞬間、時雨は又さらに茫然とした。
 はてさて、何をと言ってか言わずか、この逆見時雨という青年は妖怪である。此の百足には理を勘ぐる力が兼ね備わっており、要するに偽を見抜くのだ。実に人というのは一日にして二百の嘘を吐くという。虚実入り乱れた世において、この力は目の上のたんこぶだったこともあったし、彼の命をほとんど救ったこともあったが、とにもかくにも普段は些事虚言も日常に渦に埋もれて久しかった。彼にとっては生まれてこのかた連れ添った力であったのだから当然至極である。
 そしてこの力でもってまた多く、彼は人の言の中に獣妖を見据え戦々恐々とした経験があったが、今度のそれはまったく、いわば真逆の方向に向かって、あらたな怪物を発見してしまったわけだった。
 この男は……こいつは……実際唖然とするほどあざやかに、狂おしいほど当然に、空前極まる実状に、こいつは……
「何も考えてない……!」
 のだった。
「え、でももうこれ特高の人に渡しちゃったよ? 大学のそばの交番の人……」
「構わん。できればネガごと寄越せ。ぬかりなく処分してやろう。心配するな、吾輩の友人は政府批判の書き過ぎで窓べりに狙撃されたが、今だ西大病院でピンピン植物人間しておる」
「それ駄目でしょう!」
「うー……著作者人格権は守ってね?」
 フィルムを受けとりながら口元に笑みを隠せないかの男の言を、真っ白になって立ち尽くす時雨が無理くり訳すとでもしたらこうだろう。『鵞鳥を捕まえておいて、なぜ金を塗らないのか』。もしくは『逆見、良い口実を有難う!!!! 金ヅルゲットだぜ!!!』
「じょ、丞さんッ」
 逆見は強く杏ノ丞のほつれた袖を引っ張った。粟立つ臆病心のこれはもう意地だ。
「それ本物ですよ、本当に、本当にやめたほうが」
「さー、かー、さー、みーィ」
 部屋中に戻っていくアトリを見送り、フィルムケースを懐に仕舞った彼はもう笑みを隠そうともせず、ゾッとするほど破天荒な微笑みを満面に浮き上がらせたまま、ガッと時雨の細首を腕で捕まえて抱き込んだ。
「貴様は好かんのか? ん? 吾輩はなァ、金と名誉の次に好きだぞ……山ぞ歩いて海ぞ散り、泣く子は喚き死んだ爺は生き返り……御国も臍からめくり上がる天上天下の大撹拌、驚天動地青天崩落の……乱痴気騒ぎがなァ!!!!!!!!」
 阿ァーーーッはっはっはっはっはっは!!!!!!! と高笑いを古屋敷のびりびりと痺れるほどに響かせて韋駄天のごとく駆けだした彼を止められるものはもういなかった。時雨はその髪の靡いて階段室に消えていくのを見送ってから、びたん、と掌で額をぶったたいて、「いや、今のは春の夜の夢だったかもしれない」と思いながら踵を返した。
「あっ笑点始まるわ、チャンネル替えて」
「SHIDARE梅はああいうの出ないんですか?」
「残酷なこと聞くなあ烏君……」
「ピーッピピッ」
 アトリは主のいなくなった文机に膝を立てて上野公園の桜にカメラを向けていた。時雨は力なくその場にへたり込むと、とりあえず笑点を終わりまで見た。






(つづくんですか?)
(実は、つづきます)



 

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