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手紙 前編

 
「どうして僕は置いていかれてしまったんでしょうね。どうして一緒に逝かせて貰えなかったのかな。本当は彼女は、僕はどうして、本当に、約束したのに、でも僕は、裏切ったのは僕のほうなんでしょうか。こんなに、だけど本当に僕は、どうして僕は」
「恭弥」
「…………」
「…………」
「……清花を、預かってください」
「一時間二圓。譲らんぞ」
「先輩、僕は」
「吾輩に言ってどうする。それを吐く相手は別にあるだろう。部屋へ戻れ」
「……すみません」
「請求書出すからな」


 四○四号室の窓は開いている。くすんだガラス窓と枠の間からは線路を越して快晴は新緑の上野公園が見えた。葉桜を揺らして不忍の御池を渡る風がやんわりと吹き込んでは、部屋のそこら中へ足の踏み場もなく散らかされた原稿用紙と窓際の文机へ向かう杏ノ丞の不清潔な長い髪を揺らした。数分おきの列車の走行音と、抑揚なく断続的に奏でられるヴァイオリン、昨日壊された壁が魔改造を喰らう音、どこかの作曲家が弾くピアノ、そして清花に背を向けて黙々と原稿用紙へ向かう浅葱木綿のガリガリと筆を走らせる音が不協和に混じり合って本棚と本棚に挟まれた六畳間に反響している。壁が薄いのだった。
【然し気立たましい悲鳴を上げるにはまだ早い――腕は突如、ピアノをたらららと鳴らすような仕草で親指から順序にピクリと指を蠢かすと、電撃の奔ったようにビクンと大きく跳ね上がり、染みのついたコンクリイトの上へ五指でしっかと立つや否や、タランチュラのように指を這わせて猛スピードで迫ってきたためである】
「何これ」
 杏ノ丞が机に張り付いていた顔をバッと上げると、清花が手元の原稿を覗き込んでいた。
「何とは何だ。小説以外の何に見える」
「らくがき?」
「流石にぶん殴るぞ」
 へんに吊り上がった目で露骨に清花を睨みつけると、杏ノ丞は肩口に垂れかかった彼女の青いおさげ髪を払って膝を組み直す。
「誘拐したうえ暴行かー、未成年者略取誘拐で三月以上七年以下、暴行罪で二年以下……」
 清花は本棚に視線を巡らせながら、ちゃぶ台の上に座って足をぶらぶらさせた。
「馬鹿言え。正当な保護だ。請求書も書くしな」
「貸してるお金で充分でしょ」
「それは未来の吾輩に対する投資。配当は後日。これは目先の取引」
「詭弁だ……」
 清花は退屈そうに、目の前へ積み上げられた本の背表紙を指で選び始めた。
 彼女が帰宅したときには既に、門の前で杏ノ丞が待ち伏せしていた。「お金ならお兄に直接どうぞ」と言えば、「暫くは貴様が金目だ」と四階まで引きずられる始末。結局彼はそれについては「部屋へは戻るな。そういう約束だ」としか言わなかった。
「着替え取ってきたい」
「サクラバか誰かに借りてこい」
 今度は振り向きもしなかった。原稿用紙越しに文机を引っ掻く万年筆の悩ましげな音は一歩進んで二歩下がりを繰り返している。清花はドアのほうを振り向いた。そもそも404号室は鍵がすっかりばかになっているので、出入りはし放題である。清花はふむ、と考える。非密室、必ずしも誰もが出入りできる空間でありながら、それは個室である。ならば非密室が”何者も立ち入れる”が故に謎となるなら……そこまで考えて、お兄に相談してみよう、として思い至る。部屋へ戻ることは禁じられているのだった。当然、単なる門外漢の言うことだから、ふいにして帰っていったって何も問題はないのだろうけども、彼女は戻る気が起きなかった。それは心当たりのためだ。
「お兄はさ」
 彼女はそこで少し切って、続ける。
「何これって聞くと、これはこういうモチーフでこうしたよって教えてくれるんだよね」
「共著だからだろう。むしろそれを言わんことには始まらんではないか」
「杏ノ丞さんはそういうの、ないの」
「ハハア。作品は吾輩の手によって生み出されるものであり、吾輩もまた作品の手にあって存在するのだ」
「超わかんない」
「匙谷清花、吾輩はな」杏ノ丞は筆を置き、振り向いて腰を据え直した。「貴様と話していると、もっと腹を割って喋っても構わんという心持になるが、貴様はどうだ?」
 率直だった。彼はもしかしたら清花の声のことを恭弥から聞き知っているのかもしれない。
 彼女は口を開く。
「お兄、最近おかしかった」
「そうか」
 清花は毛羽だった床の上に足を畳み、神妙に座り込んだ。
「何かあったの?」



「……お兄、何かあったの?最近なんかおかしいよ」「僕はキミの兄じゃあないよ」「でも父親って歳でも」「昔みたいに恭弥さんって呼んでよ」「は?」「元はといえばキミのせいなんだよ。キミが僕を置いて逝ってしまうから」「お兄何言って」「遺された僕の気持ちを考えたことがあるかい?とても、とても悲しくて、淋しかったんだよ。キミの両親にもすごく怒られた。どうしてキミを唆したお前がのうのうと生きていてキミだけが死んだんだって。僕だってキミと一緒に逝くつもりだったのに」「お兄、ソレ何の話なの」



「……知りたいか?」
 杏ノ丞はちょっと眉間に皺を寄せたぐらいで、ざんばら髪の中に手を突っ込んでバリバリと頭を掻いた。
「割と」
「いくら出す?」
「あ、そこでお金の話するんだ!」
「あーデカい声を出すな! 鬱陶しい!」
「自分のほうが普段声デカいじゃん! 鬱陶しい! 髪切れ!」
「切ってほしいなら散髪代を寄越せ!!!」
「あっつかましいーーー」
「対価もなしに事を求めるでない!!! 世の中そう甘くないと知れ!!!」
「じゃあ、今思いついたトリック、売るっていうのは」
 清花が青い眼を据えて言うので、杏ノ丞はそれを鼻で笑った。
「吾輩は奴と違ってプライドがあるんでな。女子高生の指図で物を書いたりはせん」
「そういうのは相応の実力を持ってから言うべきじゃないですかー」
「吾輩の実力を理解できん貴様らの眼が曇っておるだけだ!!! そういう下働きは奴にやらせておけ。実際喜んで働くだろうあの男は」
「うん」
「保護者から代金を取るのが筋だと思うか?」
「詐欺だと思う」
「では話すことはない」
「……わかった。わかった。お兄から貰って」
 彼女は観念したように言った。杏ノ丞はふむ、と考えて右手で不格好に回していたペンでこめかみを突く。
「構わんのだな。まあいいか。
 そも恭弥は、吾輩の創設した誉れ高き文藝部の後輩である。顧問には『まさか部員が増えるとは』などと礼の欠いたことを言われたが、あの年は豊作でな。吾輩の街灯演説が功を奏したのか、他にも何人か部員が入った。そのうちの一人が恭弥であり、また件の少女だ。のち、吾輩は一足先に卒業したが暇だったがために割合あすこへ出入りしていな。当人に度々言われたものよ。どうすればいいでしょうといった具合のことをだ。吾輩は心の赴くままにせよと言った。其れが如何なるとして、尋ねるべきは人ではない。良し悪しも情懐も並べてひっくるめて、己が天秤に量るべきだとな。そんでもってマアどうやら後に恭弥と件のは付き合うことになったらしいが、そこはそれ、奴のことだ。何年前だかの今頃に、ついに本懐遂げんと心中を図ったわけよ。
 だが問題は、その頃、誰も奴の体質を知らなかったということだ。当人すらもな。人間がまっとうに生活しおって死ぬ機会などそうそうない。おおよそ心中事件が初めて奴の死んだ日であり、生き返った日だったらしい。そうでなければ……いや、そうだとしても……ともかく奴は生き返り、件のは死んだ。それが皐月の今頃よ」
 強く風が吹き込み、腕組みして黙々と語る杏ノ丞と、それをジッとして聞いていた清花の髪をなぞった。窓がギイギイと軋む。
「大変だったぞ。喪服のアテがなくてな。腰野に借りに行った。一言の文句も言われんどころか『サイズ合うかな』だのとのたまうもんだから驚いた。てっきり一緒に死んだと思った恭弥がしゃあしゃあと葬式に出ておったのもまた驚いた。あの顔はもう見られんだろう。年々ましになってきとるからな」
 そういうと、杏ノ丞は立ち上がり、窓を閉めた。外界の騒音が締め出され、壁に響く軋みや奇妙な音楽だけが残った。杏ノ丞は机に向かって座り直し、また万年筆を取った。そして一度頬杖をついてから、原稿用紙に視線を落とし、それから音沙汰のない清花のほうを振り向いた。清花はきょとん、という音のしそうな顔をして、ただ座っている。
「どうした。話は終わりだ。長さとしては一枚半程度だったから大まけにまけて五十圓で勘弁しておいてやる」
 彼はそう言って再び机に向かった。しばらく背後には人の気配があったが、陽がいくらか沈んだぐらいで、ドアが開き、閉まる音を残して消えた。どこへ消えたかは知るよしもなかったが、部屋には戻らなかったのだろう。なぜなら彼女は翌日も、五体満足で平然と学校から帰ってきたからである。四階四○四号室に。



 ……男は一心不乱に机に向かっている。笑い声が聞こえようとも、喚き声が聞こえようとも、爆発音が響こうとも、静寂のうちに電車が遠く線路を叩くのを聞こうとも、微動だにせず、ただ黙々と筆を走らせている。それは手紙である。大量の便箋が散らかっている。言葉の溢れるままに、書き損じはそのまま二重線で消して、喰らいつくがごとく、ただひたむきに、どこか優しい目をして、男は手紙を書いている。背中に満ちた真摯さが筆を伝って文面に垂れ落ち、それはあっという間に罫線を埋めた。彼は一昼夜、ただ黙々と手紙を書いた。書き続けていた。


 
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